Tech と Culture

テクノロジーとカルチャー

Cryptocurrencyについて最近思っていること

久しぶりにブログ更新。今、Cryptocurrencyについて思っていることをダラダラと書く。 ぼんやり思っていることを書いているので間違ったところが一杯あるかも。 普通はぼんやり思っていることは黙っているのだけど、このタイミングは何か書いた方が良いかと思った。 色々曖昧さを残して考えているので矛盾があるだろうし、間違ってても責任持ちません。

Cryptocurrencyと言っても自分はビットコインのことを考えていることが多い。Ethereumも好きではあるが、ビットコインを重視しているので、そこら辺はバイアスがかかっているかも。しかし、基本的に自分はPublic chainの可能性を追い求めている立ち位置にいる。まあ、ビジネスだとコンソーシアムチェーンとかも当たり前のように検討してる。アプリケーションによってはそっちが良いこともあるだろう。けど、Public chainのインパクトは非常に大きいのでそちらの可能性を追求することをやめることは今の所無い。

f:id:kurinkurin12:20190601212945p:plain

ビタリクのだいぶ前のつぶやきだけど、Cryptoの世界の人達はもう「ミドルマンを無くす」みたいなことを言うのをやめて、「ミドルマンがマーケット競争下にあって立場が弱い」みたいなことを言った方が現実を表している。とは言え、中間者より、価値の送信者受信者の方が強いというガバナンス構造のソフトウェアは今のところ他に無い。ソフトウェアアーキテクチャの構造=社会構造となる現代において、非常に大きな意味を持っている。Public chainに取り組む人達は、人それぞれに様々な特徴に重要性をおいて活動しているが、自分はこのガバナンス構造が一番重要なポイントだと感じてる。なので、そこを重要視しない人とは全く意見が合わないだろう。

内部の特徴がそんな感じのものだったとして、ビットコインの外からみた特徴は個人的に以下のような感じ。 f:id:kurinkurin12:20190601215417p:plain Bearer cashっていうのは、大雑把に言うとITの上で現金のような性質を持っているということ。これが結構重要。それと、これだけ物凄い勢いでcryptoやblockchainの技術進展があったのは、Permissionlessという性質を持っていたからだ。 マイニングに参加するのに許可はいらないし、開発に参加するのにも許可はいらない。勝手にコード書いてプルリク送れば賛同を得られれば取り込まれる。

最近Cryptocurrencyにはレギュレーションが大きな話題だ。本気のレギュレーションがかかり始めたばかりでこれから数年間はレギュレーション自体も色々変わっていくだろう。 f:id:kurinkurin12:20190601215958p:plain 超ざっくり、この分野で感じることを書いているんだけど、基本的にPublic blockchainはオープンソースの個人ベース開発コミュニティが支えている。一方で産業になりつつあって法人も様々な活動を行っている。そこにレギュレーションがかかっていくのだけど、それ以前に、ビジネスとして利潤の最大化を目指す法人と、開発コミュニティはそもそもベクトルが同じではない。もしビジネスでパブリックなプロトコルに関わると、そこを統合しないといけないという困難がやってくる。 またレギュレーションも個人ベースの開発コミュニティに規制をかけるのはそんなに簡単じゃないだろう。ソフトウェア開発しただけで罪になるというのは少なくとも現状は自分には考えにくい。

f:id:kurinkurin12:20190601235550p:plain

そもそもビットコインに関連するビジネスと言ったところで様々なビジネスがある。自分が思っている現状のビットコインのイメージは上記の図のようにTrustless, decentralizedな部分は非常に奥深いところにあって、そこにキャッシュポイントは無い。まあ、単純に言ってその部分の開発をしても直接的なリターンは無い。しかし、もしビットコインが市民権を得たとすればそれは既存の社会とグラデーションを持ってTrustless, decentralizedな部分がつながるようなイメージがあって、コアの部分以外にはキャッシュポイントがある。 Lightningでも、例えばBOLTはコアの部分で、そこはwatchtowerが作りやすいような仕様が入っているが、watchtowerそのものはBOLTには含まれない。つまり、Trustless,decentralizedな部分が市民権を得ればその周辺には大きなビジネスが発生し、それはコア部分をよく知った人によって作られるキャッシュポイントがあると思っている。既存のビジネススキームの投資を受けてキャッシュポイントの無いコア部分を開発することは自分の中ではそんなに大きな矛盾を感じてない。 LightningもプロトコルRFCは誰のものでもないが、実装は各会社がオープンソースだけどもドライブしている。

なんかちょっとPublic chainかじったひとが、Bitcoinの開発者はBitcoin使えとか、trustlessとか言いながら投資受けるのは詐欺的だとか言ったりするんだけど、はっきり言ってうんざりしてるし、正直理解力足りないんじゃないの?って思ってる。 しかし、ビジネスの意思でコアのTrustless,decentralizedな部分の仕様を曲げようとするのは本質的な価値を無くすだけだと思っている(つまりビジネスもなくなる)。コアの所はあくまでも個人だ。

そこにレギュレーションがこれから重なってくる。まあ色々大変ではあるのだけど、ある意味、正しいレギュレーションがかかれば、それはバラバラになってしまいそうな開発コミュニティとビジネスのベクトルをまとめる可能性すらある。

レギュレーションに関して一番きついのはAMLだ。なぜかというと、ビットコインはPeople's moneyであって誰かが支配的であっては価値を無くす。一方でAMLは先進国に住んでいれば正義なんだけど、先進国以外に住んでいれば政治だ。 自分はハリウッド映画を見ながら育った日本人なのでそこまでAMLに違和感無い。しかし、9.11で高層ビルに突っ込んでいった飛行機に乗っていた犯人も命を落とす覚悟であったことを考えると、異なる価値観を持っている人間がいることを想像する力ぐらいは持っていたいと思う。

つまりAMLに関して自分には2つのものの見方がある。一つはPublic chainの価値を社会に実装したいという意思。もう一つは日本という国でビジネスを行っている責任。

www.fatf-gafi.org

FATFから上記のような要請が出ている。解釈の仕方が自分には微妙なところがあって明確ではないところがあるのだけど、送金先のVASPとKYCされていることをトランザクションとともに記録するというのは、Public blockchainの本質と大きく反する感覚がある。これをやるとPublc blockchainを使う意味は殆どないのでは? この要請は銀行に対して既にある要請をそのまま適用したもののようだ。 まあ、何百億も流出してテロリストに渡っている可能性があるならば、Public chainの可能性うんぬん無視して要請が来てもおかしくはない。

が、Public chainにおいて、技術を理解している人間から技術を理解している人間に対して秘匿したまま価値を送金するというのは止めようがないと自分は思っている。VASPから秘匿送金を止めることはできるだろうけど、外側で秘匿送金し合うのを止めることができるのか??? もう既に発明されており、世界は変わってしまっていると自分は捉えている(多分、ここがレギュレーターとの感覚の違いなんじゃないかなと思う)。 この規制が進むとVASPから個人walletに送金を行うとマークされるようになり、VASP間でやり取りされるビットコインと個人間でやり取りされるビットコインが2つに分かれるような感覚が少しある。そして悪人?は何も変わらず価値のやり取りをする。

こういう状況において、自分がぼんやりと感じている未来図は、なるべくPublicでスケールする個人IDのチェーンがあって、送金先がKYC済みかどうか等、最低限の事実のみが確認できる。それを用いて、VASPは自分の国のAMLルールに従うというような構造だ。1st Layerそのものは逆に秘匿性を高めてFungiblityの危機を無くす。こういうものが現在作れるのかどうかまだ良くわからないけど、こういうものが自分が感じる未来像だ。けど、全ては、"もう既にビットコインは発明されており個人間の匿名での価値の送受信を止めることはできない"ということが合っているのか、受け入れられるのかに依存している。それが正しいのか自分にもよく分からない。 自分は例え強烈な規制をかけて開発自体を止めようとしたとしても既に巨大なハッシュパワーを持ったチェーンは存在し、使うのを止めさせたいと思った相手によって逆に開発継続するのでは無いかと感じる。 もっとやんわりと綺麗にコントロールする方法があるのかもしれないけど、自分は良い方法は思いつかない。 ドーンと重たい規制を掛けてしまえば、時価総額は1/1000とかにできる気もするけど、どこかで生き残るという気がする。

開発者はチェーンを全てコントロールできると思っている人は居ないのではないか?

1st Layerそのものは誰から誰にでも送れるが、その上にビジネス主体が国におうじてAMLで本質的価値を壊さず規制する。 (コンソーシアムチェーンは1st LayerにAML入れてもいいと思うけど) それを地道に訴えていくしかないような。

しかし、この物の見方が合っているのか?社会に通るのか?おかしな考えなのか? もっとうまい制御の方法があるのか??? 分からないことが多いので書き換えるかもしれない。レギュレーション勉強せねば。

IMFのレポートとか規制とかいろいろ。

約二年ぶりのブログ更新

IMFからcrypto asset時代のマネタリーポリシーについてのレポートが出てた。後半に概要を書いた。適当に訳したので何か間違いがあるかも。

crypto asset時代の到来において、中央銀行が存在意義を維持するために何をせねばならないかが書かれている。全体的にcrypto assetを中央銀行の強力なライバルと考えて、分析していて、変なcrypto assetへの攻撃が全く無く、非常に知性を感じる。

ある意味、こういう考え方を中央銀行がすれば、ある程度、暗号通貨にも既に存在意義があったということになる。ただ独占企業なので、コンペチタが無くなれば元の状態に戻ると思うので、共存していけるかどうかが暗号通貨の今後の重要な課題。規制について色々議論があるけど、これぐらい知的な議論をしてほしい。

暗号通貨の本質は、、中央の権限を極端にしぼり、中央を市場原理の競争にさらすガバナンス構造の変化。それによってもたらされるのは、censorship registanceや(中央がビッグデータに使えないことも含む)、中央の独占的な立場からくる社会的無駄を省くことなど。censorship registanceの対象に国も含めれば、国家を超えた通貨ができるし、必要以上の権力の暴走の抑止力にもなる。 一方で、先進国で生活しているということは、警察の力で守られていることであって、AMLを無視することは単なるズルでしかない。 クールに本質的なトレードオフを議論して、よりよい社会を創るにはどのような法律を創るべきかの議論が行われるのと良いけど。

また、暗号通貨はとんでもなく大きな社会構造を変化させるイノベーションであり、その周辺には、これまでに起きたこともないぐらいの大きな産業が発生するだろう。 リソースが有り余っている世界に生きている訳ではないので、そこはビジネス競争の面が大きくなってくる。多分、国際競争力ランキングが大幅に入れ替わるぐらいのインパクトがあるんじゃないかと思ってる。

個人的には日本は暗号通貨関係なく、緩和策を続けられなくなるまでに新しい産業作れなかったら相当厳しいと思っていて、暗号通貨は最後の蜘蛛の糸なんじゃないかと思ってる(これは個人の感性なので反論はいっぱいあるかも)。いずれにしろ不況が起きれば、多数が亡くなるし、国民の大半は人生において辛い選択をせざるを得なくなる。一攫千金を狙った人達の500億が無くなった程度の話ではない。

規制は相対的な面もあり、緩い方に向かってマネーと人と産業が流れる。IMFのペーパーには、緩い規制へのレギュレーションアービトラージをさせないようにするのが一つの策だと書いてあるけど、必要以上に相対的に厳しい規制をすれば逆効果なのは分かりきってる。

ニューヨーク州はメディアの集まるconsensusの時に合わせて、暗号通貨の本質である個人のプライバシーを最大にするようなZCashの取扱を公的ライセンスな取引所に開始させた。これなんて完全に産業界へのメッセージだなって感じ。 (まあアメリカはもっと偉い所があとから厳しいこと言ってひっくり返せるので楽に言えるんじゃないかって思ってるけど)

いずれにしろ最終的に暗号通貨に対する規制がどこに落ち着くか分からないけど、今のところ、暗号通貨の本質を理解し、その時代に備えるってのが海外の先進国の態度なんじゃないかなと思う。

暗号通貨けしからん みたいな短絡的な話じゃなくて、暗号通貨の本質を傷つけないAMLとはとか、Fiatと暗号通貨を共存させたより強い経済みたいな話がさすがにこれから出てくることに期待。

http://www.imf.org/external/pubs/ft/fandd/2018/06/central-bank-monetary-policy-and-cryptocurrencies/he.pdf

以下、概要の翻訳。


cryptoassetはいつかpaymentの代替手段となるかもしれない。それは中央銀行のお金であるfiatの需要を減らすであろう。マネタリーポリシーは中央銀行のお金の無い世界でも有効性を持つのか考えるタイミングだ。

Crypto assetはボラティリティが非常に高く、またfiatほど信頼性が高くない: 悪名高い詐欺や、セキュリティの問題、運用上の問題、不法行為との関係。

しかし継続的なイノベーションがこれらの欠点を解決していくかもしれない。Crypto assetの本質的なコンペティティブなプレッシャに対処するために中央銀行は有効なマネタリーポリシーを研究し続けるべきである。Crypto assetの性質やその裏側にあるテクノロジから学ぶこともできるし、デジタル時代にもっと魅力的なfiat通貨を創ることもできる。

Crypto assetsは他の通貨との交換によってマーケットバリューを持っており、paymentやstore of valueに使用される。マネたリーポリシーやリーガルテンダーとして価値をアンカーされているfiat通貨と異なり、crypto-assetの価値は他人も価値を認めて使用するという期待に基いたものであり、それゆえボラティリティーが高い。

ビットコインのようなcrypto-assetは供給が限られているため、インフレリスクが限定されている。しかし、通常安定したマネタリーシステムに期待される3つの機能が欠けている。構造的デフレリスクへの対策、一時的なお金に対する需要ショックに対するフレキシブルな対応、最後の貸し手としてのキャパシティ。

しかし、AI等を用いたもっと良い発行ルールを用いればバリュエーションはステーブルになる。そのようなものは既に登場しており、あるものは既存のfiatにペッグしており、あるものはインフレまたは価格ターゲッティングポリシーを模擬した発行ルールをためしている(アルゴリズミックな中央銀行)。

交換の媒介としてのcrypto-assetにはアドバンテージがある。匿名性の高いキャッシュであり、長距離のトランザクションを可能にし、分割可能である。この性質によりcrypto assetは特に新しいシェアリングやサービスベースのデジタルエコノミーのマイクロペイメントにとって魅力的である。

そして銀行トランスファーと異なり、crypto-assetのトランザクションは中間者無しに即座にセトルする。このアドバンテージは特にクロスボーダー取引において明白である。

つまり、いくつかのcrypto-assetが次第にもっと広範囲で使用され、ある分野のお金としての機能を満たしたり、プライベートなe-commerceのネットワーク、使われる可能性を排除できない。

Crypto assetの登場は、中間者がいるアカウントベースのペイメントから中間者やカウンターパーティの信頼の必要がない、バリューベースorトークンベースのペイメントに変化することを示している。

そのようなシフトはデジタル時代のお金の造られ方の変化の前兆である:信頼に基づくお金からコモディティのお金へ。ルネッサンス時代へ一周回って戻るだろう!

20世紀には、お金は信頼に基いていた:中央銀行マネーは中央銀行と市民の信頼や中央銀行コマーシャルバンクの信頼、コマーシャルバンクマネーは銀行と顧客の信頼である。それとは対照的にcrypto-assetは全く信頼に基づかず、かつ、なんらかのエンティティへの信頼もなく、コモディティマネーのようなものである。 もし、crypto assetがデジタル時代にコモディティマネーとして主要な役割を果たすならば、中央銀行マネーに対する需要は減っていくだろう。

このシフトがどのようにマネタリーポリシーに影響するだろう?中央銀行は通常、銀行間マーケットのリザーブの短期利子率を設定することによってマネタリーポリシーを実現している。そのようなリザーブサプライヤーとしての独占が弱まった時、中央銀行のマネタリーポリシーの能力は実際に奪われるだろう。

中央銀行が決定できる利子率は一般的な経済トランザクションに影響するアセット価格に殆ど関係しなくなるだろう。言い換えれば、中央銀行のお金は大半の経済活動を定義しなくなり、マネたリーポリシーは無関係になるだろう。途上国のドル化のアナロジーでみることができる。

中央銀行はどのように対応するべきか?最初にfiat通貨をより良いものにする努力を続けるべきである。 IMFマネージングディレクタのChristine Lagardeは昨年のスピーチで以下のように述べた。”中央銀行の最も良い対応は、今後も有効なマネたリーポリシーを実行し続けけ、かつ新しいアイデアと新しい需要にオープンな態度を取ることです” マネタリーポリシーコミッティーメンバーは安定した単位をオファーし続けるべきです。

マネタリーポリシーメイキングはテクノロジから力を得ることができる:中央銀行ビッグデータ人工知能、マシンラーニングの利用により経済見通しを改善することができる。 二番目に、行政はcrypto assetを規制のアービトラージに使用されることを防ぐように規制するべきである。これは、マネーロンダリングやテロリストへのファイナンスを防ぎ、消費者保護を強め、cryptoのトランザクションからの税収を効率化する。 三番目に、中央銀行は自身のお金をセトルメントに使われるように魅力的にし続けるべきである。中央銀行マネーをユーザーフレンドリーな形でデジタルワールドで魅力的にすることができる。例えば、自身の物理的なキャッシュや銀行リザーブの補助的なものとして自身のデジタルトークンを発行する等。そのような中央銀行デジタル通貨はcrypto assetと同様にP2Pで交換することができるだろう。

中央銀行デジタル通貨は強いネットワーク外部性がプライベートのぺいめんとネットワークに与える強い独占力への対抗策として役に立つだろう。 バンキングサービスのコストが重い個人やスモールビジネスのトランザクションコストを減らすことに役立つだろう。キャッシュと異なり、デジタル通貨は分割に制限が無い。

マネタリーポリシーの観点からは、interest-carryingな中央銀行デジタル通貨は、リザーブへの需要が消えた時に残りの経済圏へinterest rateポリシーを伝えるのに役に立つだろう(???))

そのような通貨の使用は、中央銀行が通貨発行から収入を得続けることに役立つだろう。新興マーケットに取って、シニョリッジは主要な収入源であり、独立性にとって重要なセーフガードである。

中央銀行通貨の設計において、トレードオフがあり慎重な考察が求められる。利点とリスクは、国ごとに異なる。

デジタル時代に中央銀行には挑戦と機会が存在する。中央銀行はfiat通貨に対する公的な信頼を維持し、デジタル、シェアリング、Decentralized service economyにおいてゲームに参加し続けねばならない。Crypto assetよりも安定的な単位をオファーしたり、中央銀行マネーをデジタルエコノミーにおいても魅力的な価値の媒介にすることによって適切な対応が可能であろう。

AI

一つ前のエントリはだいぶ先の未来にしかやってこないことだけども、AIに関する怖さは結構目前にまで来てるんじゃないかと自分は感じてる。

最近のAIは、ある程度会話が成立するところまで来てる。まあうまく人間っぽく議論をそらすことができてるという見方もあるけど。 twitterで短い取り留めのない会話ができる(AIだとばれない)ぐらいまではもう近いんじゃないかって感じる時がある。

もし、それぐらいのレベルに来たら。。。

多くの人にAIで軽く話しかけて相互フォローまで持っていく。 気がつかないうちに、各人に100人ぐらいのAIが偽装したフォロワーができる。 都知事選の時に「2年前ぐらいにレストランで小池⚪︎⚪︎子と偶然遭遇したんだけど、すごいヒステリックに店員怒鳴りつけてた」みたいな嘘を一人のAIフォロワーつぶやかせる。 別のAIフォロワーが「実は私も***でたまたま遭遇したんだけど、こんなことされた。。。」と呟く。

自分が時々会話するフォロワーさんのうち複数が悪い評判の立つような実像をつぶやいていたら、やっぱり裏ではそうなのかと多くの人が思うんじゃないかな。

これで、得票率にある程度影響は与えられるんじゃないか。ここまでダイレクトだと何かしらの違和感を察知されるかもしれないけど、もっとうまいやり方はいくらでもありそうな気がする。

これぐらいの危なさはもう目前まで来てると思うし、もしかしたらもうやっているのかもしれない。。。

AI, Blockchain, Cyber Physical System....

今日は、とりとめのない雑記。

TheDAOからのEtherのドレインが始まった時、リアルタイムで開発者Slackを見てた。(もともとSlock.itのslackのinvitationのメールがStephanから来た時になんとなくJoinしただけで、全然中身は見てなかったのだけど、@channelが飛ぶとデスクトップにはNotificationが飛ぶようになってた。)

ちょっと記憶があいまいなんだけど、ある時、@channelで運営っぽい人からの「Emergency! **のプロポーザル出した人、もしくはそれが誰か知っている人は急いで運営に連絡してくれ!」みたいな尋常じゃないテンションの発言が自分のデスクトップに表示された。 最初は何事なんだ?と思って初めてslock.itのslackを追いかけた。「何事なんだ???」とか皆がいっぱい書き込んでたんだけど、誰かが「Etherがドレインしてる!!!」って書き込んでから、ものすごいスピードで書き込みが殺到し始めた。

その時に強烈に印象に残った発言があった。それは運営からの「Ethereum上でコード実行できる人は以下のコードを実行してくれ!皆でDDOS攻撃をして、悪意のあるHackerのコードが実行されるのを遅らせて時間を作ってくれ!」みたいな発言だ。

「さすが誰にも止めれないDapps。こんなことが起こるのか」と、初めてDappsという物の意味を理解した気がした。 仮に、世界中のインターネットからセキュリティに脆弱性のあるコンピュータを探し出して、フルノードのソフトウェアをデプロイするDappsを作ったら、世界中のコンピュータの電源落とさない限り誰にも止められないアプリケーションが動き出してしまうな。。。とDappsの潜在的パワーにちょっと怖くなった。 仮にCyberPhysical Systemが動き出していて、リアルな世界にもアクセスできるようになっていたら相当な影響力だし、コンピュータを自分で作れるところまで行ってたら、もはやどうやっても止めれない。 Skynetの誕生だ。

ちょっと厨二病的か。けど自分は結構怖さを感じてる。

"Blockchain" という言葉

どうも世の中と自分の感覚が合わないな〜と感じるのが、"Blockchain"という言葉が指している範囲についてだ。

Satoshi NakamotoがBitcoinを発明した時にそのアルゴリズムがBlockchainと名付けられた。その後に、Blockchainを変更してマイニング参加者を限定したりするPrivate Blockchainが考案されて、話題になりだした。 なので、 Blockchain(Public blockchain) -> 変形してPrivate Blockchainを考案 って時系列なんだけど、どうも世間では "Blockchain"と言うとPrivate blockchainを指している雰囲気がある。

このブログで、Blockhainと言った場合はPublic blockchainを念頭においている(Private blockchainにも当てはまる時と、当てはまら無い時がある)ので要注意。

Blockchain にできること?

Blockchainがバズワードになっていて、もう完全に???状態だ。。。

訳のわからない言説がまかり通ってるし、発表されてたりする。

特にIoM(Internet of Money)以外の所でのBlockchainに関しては訳が分からなくなっている。IoT絡ませるところなんて特に分かりにくいので狙い目だ。。。 Blockchainで何も考えずにTrustlessな取引ができるのはあくまでもBlockchain内部の価値の交換だけだ。それ以外の応用においては現実とのリンクにTrustが必要になる。

例えばビットコイン払いの自動販売機があったとする(実際には海外にはあるらしい)。自動販売機についているQRコードスマホのカメラで撮影してビットコインを送るとコーラが出てくるかもしれない。そんな自動販売機がいっぱいあったとする。詐欺師が人通りの多い街中にコーラの入っていない自動販売機を置いたらどうなる?コーラは出てこず、ビットコインはどんどん詐欺師のアカウントに振り込まれる。 (まあこれは現在の通貨でも同じなんだけど、あえてそんな費用のかかることしないだろうという前提がある。それは別にBlockchainとは何も関係ない。)

現実との境目にTrustは必要だ。Suicaのように誰でも簡単に電子マネーを支払わせることのできないシステムとは違うのだ。ビットコインオープンソースでTrustlessだからこそ(誰でも自由にシステムを組める)、現実との境目にしっかりTrustが必要になる。 物の所有権の移転だってそうだ。そもそもNick Szaboの最初の提案の車の所有権の移転でも、自動車のダッシュボードに埋め込まれた装置をTrustしている。自動車メーカーをTrustする必要があるのだ。ハードウェアが出てきた瞬間にその境目は”必ず”発生する。ハードウェアをオープンソースにしたところで、その通りに作っているとは限らない。

ハードウェアが絡まないもの(IoTじゃないもの)であってもBlockchainに内蔵された価値以外のものを載せる時にしっかりしたTrustが必要になるものは多い。そもそもビットコインだってデバイスにある秘密鍵とリンクしているだけでそれを別人が使えればリンクは切れる。仮に絶対に本人だということが必要なクリティカルなシステムをBlockchainで作ろうと思えば、本人認証にかなり強力な仕組みがいる。Blockchain使えばセキュリティーが上がりますとか簡単に言えるものじゃない。 もちろん、Trustの必要性を少しでも下げるという意図のものは充分検討に値する。シチュエーションによってはそれが非常に有効なものもあると思ってる。けど、クリティカルな部分に使う場合は相当な検討が必要だ。

なんでこんなことを言っているのか、、、 だいぶ前から仮想通貨界隈は詐欺コインとか横行していたけど、自分はお金が数十倍になるとか欲がくらんだ方にも責任があると感じるので全然気にしていない。 けど、最近は、”Blockchainを使ってIoTがセキュアになる"とか"Blockchainでシステムがセキュアに"とかの例で破綻している話を公的な場所で平然とする"テックサイド"の人間が出てきてる。何が目的なのかよく分からない。情報弱者からお金を取るお金儲けなのか、名前売りたいのか、補助金が欲しいのか。。。よく分からないけど、"テックサイド"の人間がやってるのが個人的にちょっといやな感じ。夢を語らないといけないシチュエーションもあると思うけど、テックサイドなのに明らかに真面目に検討してないだろうと感じる話がある。

今の状況では、Blockchainに関しては夢物語を語る人より、"何ができないのか"もきちんと説明できる人の話を聞きましょう。本気で取り組んでる人達は皆、課題を持ってメリットデメリットを考えてる。

CryptoEconomicsとTheDAO

Ethereum上のDecentralized ApplicationのTheDAOがHackingにやられた。 btcnews.jp この件そのものについてはネット上に色々あるし、正直どうでもいい。

TheDAOについてはCryptoEconomicsに関する自分の疑問や懸念点をもっとはっきり理解できる実験になるのではないかと注目していた。その項目は、 (1) CryptoEconomicsが作る世界は、「不当な支配力を持つ組織から個人を解放した世界」ではなく、「評判が大きな影響力を持つポピュリズムの世界」ではないか? そうならない対策はあるのか? (2) Decentralizedと呼べる状態の定義は何?

(2)については今回は考えずに(1)について色々考えてる。

BitcoinでTrustlessとよく言われるけど、これはTrustが無くなったという訳ではなく、Trustの形が変わったと言った方が正しい。神様サーバの無いP2Pネットワーク上で、いちentityやいち個人が恣意的にコントロールができない価値の送受信を行えるシステムだ。しかし、ユーザは何も信用していないという訳ではない。bitcoindのソフトウェアにバックドアが無いことを信用しているし、自分がインストールしたbitcoindが純正であることを信用している。それをどうやって信用しているかというと、githubという会社の評判、bitcoindがオープンソースでバザール開発であることと開発者の評判、などなど。信用の仕方が分散的なのでTrustlessになっている。 もともと「国家よりもMathematicsやソースコードを信じる」というようなスタンスでアナーキスト中心に広がっていったのがBitcoinだ。本当の初期は「ユーザ=開発者とその知人」だったと思うのでほぼその通りだったのだろうけど、Geekに広がり始めた時からbitcoindのコード自体は読んでない人の方が多分増えている。それでもGeekはWhitePaperは理解できるだろうし、githubに慣れていれば何となく情報の真偽は分かる。けど、今やBitcoinはマスアダプション寸前に来てる。マスアダプションとなると「国家よりもMathematicsやソースコードを信じる」などと言っても、WhitePaper読めない人の方が多いし、ソースコード読める人なんて少数の特殊技能者だ。結局、メディアなんかの評判から信用できる人やWebを探して使うって人の方が圧倒的多数だろう。

TheDAOが始まった時に、一応プログラムが読める自分ですらコードを読んでない。全てのプログラムを読むなんて時間はないのだ。。。なので全貌を知っている訳ではないので自分が知ってると思っている範囲で書いている。

元々、資本主義は持っている資本のサイズが大きい方が圧倒的に有利なゲームだ。1億持っている人と10億持っている人では、ゲームの有利さが1:10ではない(もちろん優秀だったらひっくり返せるんだろうけど)。 シリコンバレーの有望ベンチャー企業ベンチャーキャピタルへの出資は全ての人に門戸が開いている訳ではなく、大きな資本を持っていて売り先を持っているぐらい影響力がある人達が投資する。会社は資本の分散は避けたいのでむやみやたらに株主を増やしたりしない。

TheDAOはソフトウェアコードでVCを自動化した。ソフトウェアなので小口を大量に集めても運営上問題ないし、行動自体もコードに従うので、1:10の出資であれば権利も厳密に1:10だ。これは本当に画期的なことでゲームのルール自体がフェアに近づく。だからこそうまくいったら既成の権威に潰されるんじゃないかと思ってたんだけど、残念ながらそこまでも行かなかった。。。 (TheDAOにはバグがなかったとしても色々無理な部分があると思ってるけど、このエントリでは無視してる)

Ethereumは「不当に大きな権利を持つEntityから個人同士の世界へ」を掲げていたので、このような仕組みが広がればより良い世界へ向かうような気もする。 が最近自分が感じていたのはちょっと違う。Bitcoinのところで述べたように、このような社会システムが様々なところに適用されたとしたら、殆どの人はその仕組みを理解できず、専門家の意見が割れたとしても判断する方法が無く、結局能力が高いと言われている人の言葉に完全依存してしまうんじゃないかと感じる。 まあ個人ベースの世界に移行するのだからそれで良いような気もするけど、多分、CryptoEconomic界の評判をコントロールするメディアやビジネスがたくさんできて、今よりももっとひどいポピュリズムの世界になっちゃうんじゃないかという予感が最近はかなり強い。

そしてそれに対する対策は今のところ思いついてない。。。

追記: どうも書き方が良くなくてうまく伝わってないようだ。 (1)資本主義や民主主義は理念と実際の社会にずれがある。 (2)それとは別に資本主義や民主主義に基本的欠点がある (3)ソフトウェア実装で(1)のズレをなくすと(2)の本質的欠点が強烈に浮かび上がりそう